民衆史研究会2007年度大会シンポジウム

「「医療の国民化」を考える――現代史のなかの医療と民衆」

<報告>

中村一成(一橋大学大学院)「戦前・戦時の都市医療」(仮)

鬼嶋淳(佐賀大学)「占領期日本における医療運動の展開」(仮)

<コメント>

高岡裕之(関西学院大学)


日時 2007年12月1日(土) 総会12:30~ 大会13:00~

会場:早稲田大学文学部 36号館6階 681教室

参加費:300円 ※終了後、懇親会あり


<開催趣旨>

 グローバル化とそれに対応した新自由主義政策が進行している昨今、“福祉国家”の変容・解体が様々なレベルで議論されている。日本社会においても、年金制度や健康保険制度のゆきづまりが問題化されているのは周知の事実である。こうした“福祉国家”の大きな変貌を前にして、近年これを学問的に再検討しようという動きが強まっている。「福祉国家」と名のつく書籍を探してみれば、社会政策や社会福祉の研究はもちろんのこと、社会学や歴史学の分野においても、同問題に対する関心が高まりを見せていることが分かるであろう。国民健康保険をはじめとする医療の問題は、そのなかでも1つの焦点をなしている。

 近年の医療制度改革の流れのなかで、国家が国民すべてに医療を受ける権利を保障するという従来の政策枠組はその根底から揺るぎつつあるが、そもそも日本において、医療の受け手が国民的規模に拡大していくこと――本シンポジウムではこれを「医療の国民化」と呼ぶことにしたい――が進行したのは、第一次世界大戦後以降、なかんずく1930年代から40年代にかけてのことであった。国家総力戦体制の構築過程で、国民健康保険法(1938年)、国民医療法(1942年)といった重要な法律が公布・施行され、「健民健兵」育成のため国民に“健康”の義務を課し、そのための監視体制を全国的に網羅することが国策として目指されたのである。こうした「医療の国民化」は、“人的資源”を国家目標に合わせて動員するためのひとつのテクノロジーであり、人々を“有用性”の基準で峻別・序列化する機能を担っていた。

 戦後社会においては、“健康”は権利としての位置づけ(憲法25条)を得て、医療制度の受益者は格段に広がっていく。しかし同時にそれは、健康(健全)/不健康(不健全)という戦前以来の価値体系を引き継ぎつつ、“健康”の規格をくりかえし再生産していく過程でもあった。とりわけたびたび行われる政府や民間の健康キャンペーンは、個人が選び取っているかのように見える“健康”のための努力が、国家的な要求と密接な関係にあることを示唆するものであった。

 このように概観してくると、戦間期以降の医療の普及の歴史は、常に国民国家への統合や動員と分かちがたく結びついていたことが分かる。しかし、こうした理解には一方で大きな疑問も残る。そもそも医療制度の充実というのは、民衆の切なる願いだったのではないか。社会政策史の相澤與一は、戦時期における国民皆保険化の状況について、「医療窮乏に苦しむ農民たちの痛切な必要と要望を反映し、それらが組織され吸収された側面もあったはずである」と指摘している。「医療の国民化」は、国民統合の契機としての側面を持ちつつも、同時に、民衆の切実な医療要求との連環の中に位置づけられるものなのではないだろうか。とするならば、民衆の運動や意識状況の側に足場を置いて、もう一度「医療の国民化」の様相を捉え直していくことも必要であろう。

 そこで本シンポジウムでは、これまで制度史、政策史的な観点で捉えられることの多かった1920年代から1950年代にかけての時期の「医療の国民化」について、地域社会や社会運動、民衆の生活実態といったファクターに即して考えてみたい。そうすることで、動員や規律化といった概念には単純には収斂しえない、医療と民衆の関わり方の具体像を描き出せるのではないかと考えている。

 本シンポジウムがポスト“福祉国家”を見据えていく上で、何らかの手がかりとなれば幸いである。