2020年度大会「教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~」

同時代史学会2020年度大会 予告

 今年度の同時代史学会大会を、下記の日程で実施します。
 今年度の大会はオンライン(ZOOM)開催になります。
 参加を希望される方は、12月6日(日)までに、下記のアドレスから参加登録を行って下さい。大会当日までに、メールにてZoomのIDをお送りします。
 なお、参加は、同時代史学会会員、および会員の紹介がある方に限定します。
【大会参加登録フォーム】
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScACNOBf8Og3MVvnoDhSwYhU2VjOq-znVWiL5R_kx01qJ2WOQ/viewform?usp=sf_link


タイムスケジュール
9:30 ZOOMアクセス開始
10:00~13:3012:20 自由論題(報告者32名)
第1報告 10:05~11:10
 賀茂道子(名古屋大学大学院環境学研究科)
「美化されたBC級戦犯:映像テクストの変容に着目して」
第2報告 11:15~12:20
 長島祐基(公益財団法人日本近代文学館)
「産業別労働組合と演劇サークル:全損保大阪地協演劇部から劇団大阪へ」
第3報告 12:25~13:30
 松元実環(神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程)
「戦後日本の「性教育」論:医師安藤畫一を中心に」
(報告者体調不良のため中止)
*報告40分+質問受付5分+討論20分、時間は多少前後することがあります。

13:3012:20~14:00 休憩・昼食

14:00~18:00 全体会
教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~
杉田真衣(東京都立大学人文社会学部)
「若者の労働と生活から見た学校」
河合隆平(東京都立大学人文社会学部)
「学校教育における障害者の排除と包摂」
コメンテーター
飯吉弘子(大阪市立大学 大学教育研究センター)
大内裕和(中京大学教養教育研究院)

18:15~19:00 総会

趣旨文:「教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~」

 復古と革新の対立として始動した戦後日本の教育は、高度経済成長期に強まった画一化を経て、1990年代以降、新自由主義的な競争原理と復古的要素を加味した国家管理との競合となって現れている。そのなかで、人間を交換可能な部品に仕立て上げていく規律化の勢いは弱まる気配がない。
フーコーが指摘したように、規律化は日常的な場面で蓄積され、学校や兵営・工場・病院などで組織化される。その前提は徹底的な分断であり規格化である。そのうえで個々の部品を関係づけ、連動させ、有用化することが目ざされている。もちろん、全ての個が思惑通りの「部品」となるわけではない。
 今日、現在進行形で展開する新型コロナウィルスへの対策は、まずは密集することを禁止し、群れを寸断することから着手された。しかし、経済界にとってこの現状が決して好ましいものでないことはいうまでもない。人間を部品として規律化するのであれば、部品同士をつなげ・連動させ・生産力を増強しなければ意味がないからである。分断された現状それ自体は決して歓迎されるべきものではない。分断の効果を適度に見定めた暁には、新型コロナウィルスの「克服」が叫ばれ、「新しい生活様式」のもと、部品同士をスムーズにつなげ、生産活動へと再編していくだろう。それは、規律化の最前線である教育現場に何をもたらすだろうか。この問題は、歴史教育に限定された問題ではない。
 経済界の要望から今後、教育現場ではこれまで以上にさまざまなことが「規格化」されていくことが予想される。学習指導要領を機械的にノルマ化した教室では、子どものニーズは徹底的に無視され、新学習指導要領が強調する「主体化」は、規律化の新たな口実になりかねない。子どもの主体性はますます軽視されていくだろう。例えば、道徳教育における「思いやり」や「命の大切さ」を高唱することが、人権教育を迂回した規律化のツールになり、児童・生徒だけでなく、そこで働く教員たち自身が相互に監視し、不信感を募らせ、顔色をうかがい忖度する世界が展開する。そのなかで、子どもたちの尊厳を守るにはどうしたらよいだろうか。そして、生き生きとした人間性を育み、自立した個人と個人とが共生する成熟した社会を目指す心ある教員たちの取り組みを、ともにエンパワーメントするにはどうしたらよいだろうか。
 同時代史学会では、新型コロナウィルスの影響が教育現場にさまざまなしわ寄せ(および“可能性”)を刻印するなか、「コロナ後(とされる段階)」に予想される暴力的な展開(経済界主導の弱者切り捨て)をふまえ、その状況にいかに抗うか。コロナが可視化した“可能性”にも注意深く目配りしながら、そのしわ寄せを受ける立場に着目することで考察したいと思う。
 まず杉田真衣報告「若者の労働と生活から見た学校」では、すでに多様性が著しく減退した学校現場にあって、格差社会が子どもにどんな影響を与えてきたか。女性と貧困というテーマからこの点を追求されてきた同氏に、新型コロナウィルスの影響もふまえ、またその他の教育的な現状もふまえて報告していただく。
 河合隆平報告「学校教育における障害者の排除と包摂」では、特別支援教育の現状(+同時代史)を報告していただく。コロナでの分断・ソーシャルディスタンス・新しい生活様式は、「ふれあい」を前提にした「障害者」への教育に反している。これは、「障害者」に限らず、さまざまなケアワークにあてはまることだが、同時に「障害者」が「規格化されない身体」(=規律・訓練の対象外)を生きていることを踏まえれば、コロナ後に予想される経済界の攻勢が真っ先に排除するのも障害者であるはずだ。2016年7月に相模原でおきた殺傷事件の論理は弱まることはないだろう。コロナによって「障害者」の概念も変わり、「総障害者化」するとも言われているが、それが経済界との関係でどう展開するか。
 コメンテーターには、飯吉弘子氏と大内裕和氏にお願いした。飯吉氏には、高等教育卒業者への(大企業を中心とした)経済界ニーズとそこから浮かび上がる社会(構造)変化・時代変化について論じてもらう。大内氏には、今日の教育現場の状況や予想されるコロナの影響をふまえつつ、近現代史の長期的な見通しを論じていただく。
 規律化される“部品”は、個々の“部品”が対象化されるというよりも、その規範から逸脱する者を際立たせることで規格化される。「規律・訓練の体系のなかでは、子供の方が成人よりもいっそう個人化され、……犯罪非行者が普通人および非―犯罪非行者よりもいっそう個人化される」(『監獄の誕生』195頁)。規律化される「普通人」は、「ぼかし」効果によって均質化されるのであり(同書187頁)、ピントが合わせられるのは、つねに、そこから漏れ落とされる側である。それにいかに抗うか。有意義な議論ができればと思う。

【報告概要】

若者の労働と生活から見た学校

杉田真衣

 新型コロナウィルス感染症の拡大が人々の生存を脅かしている。このことを示す一つが、自殺者数の増加である。8月の1か月間に自殺した人は昨年よりも16%増加し、うち男性は6%増であるのに対して、女性は40%増となっている。女性の中でも30代以下が74%も増加しており、とりわけ若い女性の自殺が増えている(「30代以下の女性の自殺 去年比74%増加 新型コロナの影響も」NHKニュース2020年10月2日https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201002/k10012644561000.html)。若年女性を支援する団体であるBOND プロジェクトが公式 LINE 友達登録者の若年女性950人を対象として2020年6月に実施した調査では、外出自粛や休業要請の影響で「体・心のこと」に関して困ったことをたずねる質問に対し、「消えたい、死にたいと思った」と回答した人が69%いた(特定非営利活動法人BOND プロジェクト『10代20代女性における新型コロナウィルス感染症拡大に伴う影響についてのアンケート調査報告書、2020年』)。
 こうしたデータに表れている生存の危機の背景には、新型コロナウィルス感染症拡大の影響で休業となった者に女性、中でも非正規雇用労働者の女性が多い状況があると推測される。政府としても現状を把握するために、2020年9月に内閣府男女共同参画局内に「コロナ下の女性への影響と課題に関する研究会」を設置しており、この間の運動の成果もあって、女性が直面している困難は政府としても看過できない問題になりつつある。
 注意すべきは、これまでも指摘されてきたように、新型コロナウィルス感染症が拡大するよりも前から、少なくない若者、特に若年女性が、生きていけるという展望を見出せずにいたことだ。たとえば報告者がおこなってきたインタビュー調査では「できれば30歳になる前に死にたい」と話す若年女性に出会っており、支援者からも同様の声が報告されている。その意味で、現在の若年女性の苦境は、コロナ禍によってもたらされたものではない。問題の背景に1990年代後半以降の若者の〈学校から仕事へ〉の移行の大きな変容があることは間違いなく、その変容はとりわけ貧困家庭で育つ女性たちに深刻な状況をもたらした。と同時に、2000年代以降の学校教育の性格変容によって、苦境に陥っている子ども・若者へのケアが一層困難な状態になっている。
 本報告では、こうした以前からの社会変容と、現在直面している新型コロナウィルス感染症拡大の両面から、学校現場のありようが若者、とりわけ若年女性の困難を深刻化させている状況について考察する。

学校教育における障害者の排除と包摂

河合隆平

 本報告では、こんにちの学校において「インクルーシブ教育」が強調されるほど、障害児の排除が進行し、障害児教育の自律性が解体させられていく特別支援教育の現状を扱う。2006年の特別支援教育の制度化以降、障害児学級・学校、通級指導教室の在籍者数は激増傾向にある。これを通常教育からの「排除」と批判するとしても、欧米に比して日本の障害児学級・学校在籍率は低く、通常学級は「インクルーシブ」である。しかし、その実態は公的支援のないままダンピングされた「エクスクルージョン」にほかならない。この事実を差し置いて、経済界が求める「誰も取り残さない教育」(ダイバーシティ&インクルージョン)」を推進すれば、障害児の固有のニーズは差異と多様性に埋没させられていくだろう。文科省の「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」は、通常学級での共学共習を推進するために特別支援学級在籍児童について「ホームルーム等の学級活動や給食等」を「通常の学級」において「共に行うこと」を「原則」とすることを提起している。それは、通常学校において障害児が集合的アインデンティティを形成するために必要な自治的な生活と学習集団を奪うものであり、特別支援学級教育の自律性・固有性を縮減させ、その教育を通常教育の補完機能へと矮小化させることを意味する。
 特別支援教育には、Society5.0にむけて「多様な子供たちを誰一人取り残すこと」は許されないことを肝に銘じて、障害児に職業労働に従事する「能力」が期待できなくても無為に生きるのではなく、何らかの「能力を発揮し、共生社会の一員として」分相応に貢献できる「資質・能力」を育成することが要請される。この間、文科省は「雇用」「文化芸術」「スポーツ」「高等教育」等の重点分野を設定した「障害者活躍推進プラン」を打ち出している。障害者に対する社会貢献の要請は、人間を生産性や効率性ではかる価値観の反映といえる。個人が「権利としての教育」を「享受」することを介して社会に「効果的に」作用する仕組みが障害者権利条約のいう「インクルーシブ教育」だとすれば、障害児に活躍や貢献を強要する教育は、もっぱら社会の要請に教育を従属させ、障害児の排除を帰結する。
 報告では、障害児からみたインクルーシブ教育の実践と理論の核心が、通常教育の排除性を規制しつつ、障害児教育の自律性と固有性の確保にあることを示す。

同時代史学会2020年度大会 自由論題


  1. 美化されたBC級戦犯:映像テクストの変容に着目して
  2. 賀茂道子(名古屋大学大学院環境学研究科)
  3. BC級戦犯には、人違いもしくは上官の罪をかぶって処刑されたといった「悲劇」「不条理」のイメージがつきまとう。こうしたイメージの形成には、戦犯の遺書や映像での戦犯の描かれ方が寄与したと考えられる。とりわけ「私は貝になりたい」はこれまでに4 度も映像化され、最もBC級戦犯のイメージ形成に貢献したとされている。本発表では、「私は貝になりたい」および、他のBC級戦犯を主人公とした映像の分析を通して、BC級戦犯の設定がステレオタイプ化されていること、映像テクストが時代によって共通の傾向を持っていることを指摘する。そのうえで、商業映像は視聴者からの受容が求められることから、BC級戦犯映像のテクストには日本人の戦争観や戦争の罪に対する意識が反映されていると考え、そこから導き出される日本人の戦争観の変化、および戦犯が美化された背景を考察する。

  1. 産業別労働組合と演劇サークル:全損保大阪地協演劇部から劇団大阪へ
  2. 長島祐基(公益財団法人日本近代文学館)
  3. 日本の労働組合の特徴として企業別組合が多い点があげられる。その中で労働組合を基盤としつつ、労働組合とも異なる共同性を作り出したのが1950年代のサークル運動である。本報告では産業別労働組合の演劇サークルである全損保大阪地協演劇部と、その流れを組む劇団大阪の結成過程に着目し、労働組合とサークル活動の関係、その中での企業の枠組みを超えた共同性の創出、1960年代以降の演劇運動の担い手や運動形態の変化を検討する。全損保大阪地協演劇部は企業を越えた演劇サークルとして結成され、職場や家制度の問題を描いた作品を発表した。1960年代以降は労働紛争や企業間競争が激化し、職場での演劇創造は困難になったが、その中で新たな担い手が現れ、金融系労働者と結びつき、劇団大阪が結成された。一連の流れを検討することはサークル運動研究に加え、企業別労働組合に着目してきた労働組合研究に対しても資する点があると考える。

  1. 戦後日本の「性教育」論:医師安藤畫一を中心に
  2. 松元実環(神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程)
  3. 本研究は、まず、戦後初期の日本の性教育に関する歴史的研究において「性科学」視点の不足を指摘する。次に、当時の性科学の議論に頻繁に登場する医師安藤畫一の言説から、その思想的背景を考察する。戦後初期の性教育に関する歴史的研究は主に、1947年から1972年にかけて行われた「純潔教育」を分析の中心とし、先行研究は、性売買と純潔教育の関係を扱う女性史や教育史に偏る。しかし、実際は、同時代の性科学領域にも類似した議論が存在した。本研究は、医師安藤畫一に着目する。産婦人科医で、戦後は純潔教育委員会や日本性教育協会に所属した安藤は、教育現場の性教育に携わる一方、医療をはじめとする幅広い領域で「性」について言及した。先行研究は、安藤を教育者として扱うことが多かったが、性科学領域での議論を見ると、従来の研究で重要視されてきた教育的立場とは異なった思想を持っていたようだ。これらを明らかにするために、著書を中心に性科学領域の議論を見ていく。